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2015
08.20

お盆も終わると

京都のお盆は忙しい。
家では、今年は母の初盆でもあるのでよけいに忙しかった。
実家に帰ってまる六年の母との同居は、振り返ればあまりに短かかった。
母との生活は、それまでの私の生活を一変してしまった。
実家のあった古い家のあとの空き地は畑になり、今では野菜と果物の苗木で一面の緑になっている。
ここで母と暮らす生活で手に入れたのは、野菜作り。
それはそれで、面白いしやりがいがあるとは思っている。

母はいなくても蒔いた種や苗は草ボウボウでも半ば勝手に育つし、何かは収穫出来る。
しかし、今は何かが変わってしまったと感じる。

振り返るといつも私は流れに身を委せて、自分が必要とされることをまず一番の優先と考え、その中で出来ることをすると言う私の生き方だった。
そんな中でも、自分で楽しめることも見つけて充実はしていた。

この6年間は、野菜作りも加わった。
野菜は食に直結していて生きる糧でもあるので今辞めようとは思わないが、母がいなくなってしまったことで何かが変わったような気がする。
ひとつの節目なのだろう。
人は拘束されるものが無くなり自由を得ると、一瞬戸惑ってしまうのかもしれない。
忙しい時ほどその合間を見て、今出来ることを見つけて集中出来るのかもしれない。

昨日は、友人から絵画教室への誘いを受けた。
もともと、絵は好きなので歳をとって体が動かなくなり何も出来なくなったら家でもう一度絵を描いてのんびり過ごしたいとは思っていた。
しかし、今は絵画教室には興味はあるが何が何でも行ってみたいという気持ちも涌いてこない。

私にここに来て一緒に暮らしてほしいと言っていた十年程前に、「ここに来て私何をするの?」と母に言うと、母は「私と同じように暮らしたらいいやん」と行っていた。「そんなん、ごめんやわ」と言っていたが、今はその母の言っていた「暮らし」だけが残っているといった感じでもある。
そう言いながら今やらなくてはならないことも、今まで続けていることもあるのだが…。

日々の生活は、坦々としたものである。
この生活に身を任せることに寄って、自ずからまた進むべき道が見えて来るのかもしれない。
いつも、そうだったように。
母がいなくなってしまって、大きな空洞が出来てしまったようだ。
今は一つの節目かもしれない。

畑はほっておいても、かってに育っている。
だめなものはだめだが、生命力のあるものは生き抜いている。
力をもらって、学ばなくては。

さあ、朝だ!
まずは、今日をスタートさせよう。

この「バターナッツ」というカボチャ、全く実の付かなかった夢枕と言うスイカの中にすごく大きいのが育っていました。今年は,心が畑に行っていないせいか、受粉がうまく行かなくてカボチャもスイカも結実が悪いのです。そんな中で,植えた憶えが無い所で伸びてきたカボチャの苗がとてつもなく元気で、延びています。なぜかこれだけは実を付けています。
P1100330.jpg

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